家族写真/Family photo
私は自分の中の「記憶」について興味があります。
特に「家族との思い出」を「いつまで自分の 中で記憶として覚えていられるのか」と
いう事に関してです。
ただ残念な事には全ての記憶を覚え ている事はできないでしょう。
しかし、私達は「家族写真」を見る事で、それを「きっかけ」として
溢れるように記憶が蘇る経験を
していると思います。忘れているのではなく、
自分の中にはちゃんと残っている。
だから私達 は何かある時は「記念写真(家族写真)」を
撮りたくなるのではないでしょうか。
この思い出を あとで思い出すために。
現在私達は、息を吸って吐くように携帯電話のカメラで写真を撮ります。
それは、今は覚えていられないけど忘れないように。
「過去を封じ込めて残しておく」これがで きるのは写真の特性だと思います。
私は今回の作品で「家族写真」と「自分の記憶」についてその関係性を
検証してみたいと思いま した。
作品の中の「家族写真」から「私の息子」の姿を消してあります。
何故そのような事をしたかというと、
津波に流された家族アルバムの中の写真を救済するプロ ジェクト
(回収して修復して持ち主に返す)のwebsite の中で、
ある被災者のコメントを読んだか らでした。
「(略)~あるの記憶だけ。でもその記憶も時間とともに薄れて いってしまう。
たった一枚の写真が あることが、今まで生きてきた証となって、
これから生きていく支 えになるのです。」(注1)
私は、「では家族写真からその姿が消えたとしたら、
その人は存在してなかった事になるのだろ うか?」
と疑問を持ちました。
記憶が時間と共に薄れていく中で、写真が記憶を繋ぎ止めておけ る唯一の
手段だとしたら、
写真からその存在が消える事により、
これらの「家族写真」の存在意味は自分にとって、
どう変化していくのか確認してみたいと考えたからです。
写真には「黒い穴」 が開いてます。彼の姿はありません。
彼はその穴から落ちてしまいました。
そしてそこから彼の 「思い出」や「記憶」も
私の記憶から抜け落ちていくような気もしますし、
それを防ぐために私 の記憶が総動員して補填してる気もします。
そしてこの穴はどこへ繋がっていくのか興味があります。
これは私の家族の事でありますが、
この作品をみている方全ての方の「家族写真」にも
当てはま る事であると考えます。
家族写真や記念写真が、写真自体は何も変わらないのに、
その時の心情 によって楽しい思い出を思い出させるきっかけとなったり、
見直すのが辛くなるから見たくない という
両極端の存在意味を持ち合わせているという特性は
とても興味深いと考えます。
「家族写真」って一体なんなのでしょうか? 私もみなさんにも問いたいのです。
<参考文献>
(注1)富士フイルム “ 写真救済プロジェクト”私たちがやってきたこと。
そして、わかったこと3 いよいよ被災地へ https://photo-rescue.fujifilm.com/ja/03.html( 2024-02-25閲覧)